#立ち上がれアジア人 StopAsianHateについて理解を深める(後編)

今でも続くアジア人暴行が一刻も早くなくなることを願って。

2021年に入り、アメリカではアジア・太平洋諸国系米国人(AAPI)を狙った犯罪が急増していますが、ニューヨークにも春が訪れ、冬の間の人気のない街並みから徐々に活気を取り戻してきたようです。それでもまだ以前に比べて治安が悪いことは確か。未だにアジア人に対する差別的な行為は続いています。そんな中、先日、日本人ゴルファーの松山英樹選手が権威あるマスターズで日本人初、アジア人初の優勝を飾りました。アメリカでは日本人初という報道もさることながら、アジア人初として報道されています。テニスの大坂なおみ選手同様、日本人としてはもちろん、アジア人選手が活躍することで希望を持つ在米アジア人も多いはずです。また、今月末には反アジアンヘイトクライムに対応するための新しい法案が上院を通過しています。

前編ではClubhouseを通じ、松井 綾香、菅 礼子、田原 美穂というAYDEA collectiveのニューヨーク在住日本人メンバーで「StopAsianHate」を議題に、アジア人差別はどういったきっかけで起こったのかを紐解いていきました。本編ではWomen’s Startup Lab代表の堀江愛利さんがサプライズゲストとして登場。長いアメリカ生活の中で感じたアジア人差別や、どう対処していくかなどを伺うとともに、日本人女性が世界からどう見られているのかも考察していきます。

Text by Reiko Suga

全米で一番大規模と言われるサンフランシスコのチャイナタウンも人通りがまばら。Photo by Roxann C

Reiko: アジア人差別に関して知識のないことが差別にも繋がっているという話もありましたが、私たちアジア人も偏見があるという背景を理解しないと、何か攻撃をされた時に、これは個人的な問題で攻撃をされているのか、アジア人という人種だから攻撃をされているのかが分からないですよね。

Ayaka:3月半ばにアトランタでのスパ襲撃事件があったと思うんですが、この事件自体も悲しかったんですが、アメリカメディアの事件に対する報道が疑問でした。この報道が差別なの?って。明らかに差別から起きた事件なのに、きちんと差別として報道をしていない。

Reiko: 記者会見をしていた担当警察官が以前、自身のFacebookにアジア人への差別的な投稿をしていたみたいですよ。それを叩かれて投稿を削除したと聞きました。

Ayaka:イエローフィーバーって聞いたことありますか?

Reiko:アジア人好きの人のことでしたっけ?イエローキャブという表現も聞いたことがあります。

Ayaka:中学とか高校の時に「あの子はイエローフィーバーだからAyakaのこと好きかもよ」と言われたことがあって、その時はわからなかったんですが、アジア人の肌の色を見てイエローという表現をすることがあるのですが、イエローフィーバーアジア人好きということみたいで。その当時は分からなかったんですけど、差別ですよね。アジア人だから好き、というのも。

Reiko:日本人も白人だからが好き、みたいなのありますよね。人種の先入観はこうした問題に直面すると、肌の色が何色だからいい、悪い、という議論は生産性がない感じがしますね。

Miho:それが問題視されるというのが最初の一歩ですよね。長年あったアジア人差別が今回のようにおおごとになったのも最初の一歩に過ぎないですよね。

Ayaka:力を合わせて行かないといけませんよね。力の合わせ方って色々あると思うんですが、企業も寄付をすればいいだけではないし、デモをするのもひとつだし、何かを購入する時にアジア人オーナーのお店から買うのもひとつ。こうした問題を発信しているメディアを拡散していくという方法もあるし、バリエーションを増やして行かないといけない。

Reiko:アジアの中でみても韓国人や中国人に比べ、アメリカに住んでいる日本人の数は圧倒的に少ないんです。なので、発言することって勇気がいるけれど、日本人同士力を合わせてアジア人差別に立ち向かい、こうした問題を日本にいる人たちに知ってもらえるように発信して行かないといけないですね。
Miho:被害者であることを認めるって勇気のいることだし、被害者として発信すると「勘違い、妄想じゃないか」ということでアタックされることもあると話づらいですよね。

ニューヨークはローワーイーストサイドに位置するチャイナタウンでも#Stopasianhateのグラフィティでアジアンヘイトクライムへの反対を訴えています。Photo by Robinson Greig

Women’s Startup LabCEOの堀江愛利さんがゲストとして参加

「長年感じていたアジア人差別について痛みを感じないようにしていた自分がいた」

Ari:アメリカ生活は長いのですが、仕事柄、女性に対する差別については色々とデータがあって、それについては話をしてきました。長年アジア人としての差別を私も感じながら生活していたのですが、「アジア人差別があると言っても信じてもらえないだろう」と思い、辛い気持ちを存在しないかのごとく我慢してきました。今から私が白人になれるわけでもないし、変えられないことへの差別は絶望感に繋がる。女性という意味では白人の女性でも差別は受けていたりするし、そういう意味では仲間が多いんです。今回アジア人差別が表沙汰になって初めて、「なんで私は今まで声をあげて来なかったんだろう」と思い、どこかで信じてもらえないだろうと思っていたんだなと初めて気がつきました。

Ayaka:私たちもこうして自分で事業をやっていると、どこにパワーを注いでいくかは考えていかないといけないですよね。自分たちのアクションで変えられることには力を注ぎたいけれど、今アメリカで起こっている人種差別の問題は私たちはアジア人であることを変えられない。そう思うと無力に感じてしまう。

Ari:神経が図太かったり、人から批判されても耐性があることを“Thick Skin”と言うんですが、私たちもThick Skinだからと言って傷ついていないわけではないんです。作って行きたい世の中や実現させたい未来があるので、傷ついていないふりをして突き進んでいるんです。長年起業家をやっていると、多くの投資家や起業家にお会いすることが多いのですが、そう言う人たちの中で成果を出してもスルーされることがあるんだってこの年齢になってから気がつきました。それもアジアンヘイトの表れなのかなと思うことがあります。同じ成果を上げても女性起業家には4/1しかファンドがつかないと言うデータがありますが、女性の中でも白人女子のほうがメディアに取り上げられて、優秀なアジアンアメリカンの女性は全然メディアに取り上げられていない!など、そういうことはありますよね。

私が住んでいるメンロパークは白人も多く、シリコンバレーの起業家たちが多く住んでいるエリアなんですが、近所の人に「怪しいチャイニーズが洗脳をするために活動をしている」と通報されたこともありました。それから嫌がらせは続いたのですが、街ごとに差別の課題も違うということを理解しないといけません。メンロパークの警察も差別があることは理解しているのですが、そこから何が起こるわけでもなく、結局アジア人に我慢してくださいとなってしまう。街としてのルールやガイドラインがないと変わって行かないですよね。

Miho:アジア人だけで声を上げていくのは大事だけれど、それを超えて白人や他の人種も巻き込んで、それこそ、シティで人種差別のルールを作るような人たりを説得してアジア人差別の問題に向き合ってもらわないといけない。

Reiko:今回はアジア人が標的として狙われていますが、全人類で取り組んでいかないと、本当の解決には繋がりませんよね。

Ari:子供達の学校でも人種差別的なことを言った生徒がいると校長先生に呼ばれて親に連絡が行って、と段階があるんですよね。それと同じで国レベル、街レベルで人種差別に対してアクションしていく。スタートアップと一緒で、やりながら何がいいのかを見つけていくことにはなると思うんですが、行動を起こしていく。今まで私も我慢をしてきてしまったので。
Ayaka:私たちもどういう発言をしていったら解決できるんだろう、どうやったらより多くの人に声を届けられるんだろうと考えることが大事ですよね。

人種差別的なことをされた際に自分が出せるカードを用意しておく

Ari:一度車を運転していたらフリスビーを投げられたんですよね。私がアジア人だから投げられたと思っていて、今まで私もいろんなアジア人差別の嫌がらせをされていたのでかなり強く言ったんですよ。「これで私が事故をして死んだらお前は一生刑務所行きだ」とか、「法律的にお前がしたことは犯罪だ」とか。私も怒っちゃって耳が真っ赤になっていましたからね。

Reiko:咄嗟にそこまで言えるのはさすがですね!

Ari:以前に嫌がらせをされた時に言い返せなくて悔しい思いをした自分がいたので、今度何かされた時は絶対に言ってやろうと思って。練習していたんですよね笑。最低限の法律とか、自分を守るための権利を分かっていると「警察に連絡するとあなたが今やったことはこういう罪で問われる」と言うのを言えるようにしておいたほうがいいです。そうすることでアジア人が舐められなくなってほしいですね。本当に積み重ねで悔しい思いをして、どうしたら自分を守れるのかを学んでいったんだと思います。大学の頃は本当に悔しい思いをしたので。

Ayaka:私も高校、大学は悔しい思いをしてきましたね。今まで私もアメリカを転々とする中で、居心地のいい仲間、コミュニティを作っていくというのを心がけていました。なので私の周りは人種差別に対してもきちんと教育がされていて、話し合いもできるんです。でも、こう言う問題に直面した時に、それだけじゃダメだよねって。そこから出るとそうじゃない人種差別をするような人たちもたくさんいるので、例えば今後アメリカに来る日本人に伝えられるようなツールキットを作るとか。

Reiko:アメリカで起こっていることはアメリカに住んでいる私たちがリアルに感じることなので、こうした場で伝えていくことがファーストステップだなと思います。
Ayaka:我慢するって日本の美学的に思われていますが、私はもうこの問題で我慢をしたくないんです。

Miho:私も娘の世代に人種差別で我慢をさせるようなことはしたくないし、自分たちの人種やカルチャーに誇りを持って話していけるような育て方をしていきたいんです。

Ari: 今回14歳の息子を連れて日本に帰ったんですよ。その際に日本はアニメが世界一だとか、100年以上続いている会社が世界一多いとか、データで日本の素晴らしいところを見せたんです。そしたら今までアジア人ということで嫌な思いをしてきていたのに自信をつけて元気になっちゃって!今は日本のアンバサダーみたいになって「You should come to Japan」なんて日本の魅力を発信するまでになったんです。

Miho:模範キッズですね!日本は本当に素晴らしい文化も多いし、これからは私たちAYDEA Collectiveのミッションでもある日本の魅力を世界に広める活動をどんどんしていかないといけませんね。
Ari:#Stopasianhateのように発信していきましょう。日本の方にも検索してもらいやすいように「#立ち上がれアジア人」というのはどうでしょう?

Ayaka:いいですね!私たちも今後アジア人差別に関する問題を発信していく際は日本語でもハッシュタグをつけていきましょう!「#立ち上がれアジア人」もよろしくお願いします。

本記事をシェアしていただく際や、アジア人差別問題の投稿やシェアをしていただく場合、#StopAsianHateのほかに、日本人の方でも簡単に検索ができるよう、#立ち上がれアジア人 #立ち上がれ日本人 のハッシュタグを付けて投稿頂ければと思います。これは今回のClubhouse での議論の際、より多くの日本人の方にアジア人差別の問題を理解し、共有いただきたく、私たちの中で決定したものです。

松井 綾香

東京生まれ。高校を米国オハイオ州で過ごし、ボストン大学にて国際関係学・ビジネスマネージメント学科専攻。在学中にスイスとイギリスでの留学を経て、卒業後は、資源政策シンクタンクの上海オフィスにて、 日中関係・外交政策における研究者として参画する。外交官を目指すものの、異文化やリアルとデジタルの境界を超えるビジネス展開に興味を持ち始め、日系IT企業のEコマースのコンサルタントとして、150社以上の中小企業から大企業のデジタル事業展開に従事する。その後、シリコンバレーに渡り、グローバル企業の日本進出のマーケティング・ブランド戦略と日系企業の米国進出に携わる。2018年にニューヨークに拠点を移し、スタートアップから大手までの幅広い企業を対象に、海外進出におけるコンサルティングを行なっている。

菅 礼子

日本女子大学人間社会学部・現代社会学科卒業後、INFASパブリケーションズに入社。ファッション週刊紙「WWDジャパン」編集部ではウィメンズファッションのパリコレクション取材などを担当。国内外のファッションデザイナーのインタビューなどを行なう。主婦と生活社の男性誌「LEON」編集部に移籍し、ライフスタイルをメインにタレント、パンツェッタ・ジローラモ氏の旅取材を担当し、F1やベネチア国際映画祭などをはじめ、世界30ヶ国以上の国やイベントをレポートする。渡米後、ニューヨークを拠点にジャーナリストとして日系グローバル企業のカタログ撮影や航空会社機内誌の取材・執筆を行うほか、日本ブランドの海外進出、海外ブランドの日本進出マーケティングやプロデュースを手がける。

田原 美穂

NY州立大学卒、早稲田MBA取得。NYファッション工科大学のサステナビリティ講座を受講中。新卒で投資アナリストとして日系銀行へ入社し、英国子会社にて勤務。その後、COACHにてeCommerce及びデジタルマーケティングのシニアマネージャーとして、戦略立案や日本独自のSNSの立ち上げ、オムニチャネルでのマーケティングの現地化などを実行。後にH&Mにてロイヤリティプログラムを立ち上げ、ブランドストーリーの体験などを通したファン作りに貢献した。その傍ら、革新的なサステナブルブランドとして知られるPANGAIAの日本進出アドバイザーとして日本が誇る素材や染色工場などとの懸け橋となり、実際に散った桜で染色されたリサイクルコットンのT-シャツ製作などへも携わった。